彼女は、twitterを非公開にしていた。
クローズドで、気の合う友人や仕事仲間にだけ公開し、
なんでもないことを話し合ったり、他愛も無い愚痴をこぼしあったりしていた。
長文を書かないでいいので気軽につぶやき、どうでもいい発言にレスがくるのが楽しかった。
同じテレビを見ている人と、テレビへのツッコミだけでタイムラインを埋めていくのが楽しかった。
地震が起こると、まっさきにtwitterをチェックした。
著名人の訃報を、twitter経由で知った。
そんな日がしばらく続いた。
ある時期のこと。
勝間和代やら国会議員やら、著名人が次々にtwitterをはじめていった。
その流れで、「微妙に身近」な人もtwitterをはじめた。
仕事関係の人も、旧友も、嫌いな人もtwitterを始めた。
自分の嫌いな人が和気藹々としているのを見ると、ちょっと嫌な気分になった。
仕事でしかつきあいのない年長の人がはっちゃけているのを見ると、
見てはいけないものをみてしまったような気分になった。
twitterの発言が炎上しているシーンをみかけることも増えた。
なんだか、場所が「薄まった」ような感じがした。
「微妙に身近な人」や仕事関係の人から、フォロー申請が次々とやってきた。
なんだか「とにかく大量の人をフォローする人」も現れた。
彼女は、「IT業界で少しだけ有名な人」だったので、見知らぬ業界人からも申請がやってきた。
「目上の著名人」の人からも申請がきた。
フォロー申請は、マイミク申請より簡素で、自己紹介文もない。
知り合いなんだか知り合いじゃないんだか分からない人から、日々送られてくるフォロー申請。
断るに断れないけど許可したくないけどやっぱり拒否しがたい相手からのフォロー申請。
覗きに行ってみると、「○○ちゃんにフォロー申請したけど、許可されないよぅ」とのぼやき。
「やっぱりここもこうなったのか」とため息ひとつ。
彼女はとりあえず様子をみようと思った
彼女の友人も、似たような境遇だった。
友人は、アカウントを増やし、広報用のアカウントと、公での絡み用のアカウントと、
今までどおりのクローズドのアカウントを使い分けることにした。
でも、だんだんと、一般公開用の発言ばかりになっていった。
それは、これまでの発言と違い、「化粧された発言」ばかり。
歯に衣着せぬ愚痴りあいはもうできなくなった。
その友人との絡みが、よそよそしいものになったように感じた。
ある女の「twitter疲れ」(増田風) - 荻上式BLOG (via igi) (via asobiya) (via clione) (via nao1971) (via bnosuke
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あとで読む。
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